平和・人権・政教分離に関する社会部声明
恵泉バプテスト教会におきましては別項HP「平和・人権・政教分離」に掲載しておりますが、「信仰告白」「使命と働き」「信仰宣言」などに基づき、総会において声明などを、従来より明らかにしてまいりました。
これとは別に「小泉首相の靖国神社参拝に抗議します」など、予期せぬ事態が発生した場合、適時、社会部として、以下の「声明」などを明らかにしています。
その性格から、以下の社会部声明に関しましては、教会全体で審議・承認されたものではありません。文責は恵泉バプテスト教会社会部にあることをお断りしておきます。
文責 恵泉バプテスト教会・社会部
No.S01
愛知県教育委員会宛外国籍受験者拒否抗議電報
1981年7月19日
No.S02
指紋押捺拒否者ボネット神父の在留期間延長を求める要望書
1984年4月14日
No.S03
明治学院大学森井学長「学長声明」に対する恵泉バプテスト教会社会部からの書簡
1989年1月25日
No.S04
弓削フェリス女学院大学長あて連帯電報
1990年4月24日
No.S05
中東戦争に反対する恵泉バプテスト教会社会部声明
1991年2月9日
No.S06
自衛隊のPKO参加に反対し、天皇のアジア訪問に反対する声明
1991年9月10日
No.S07
PKO法案の廃案を求める要望書
1991年11月25日
No.S08
天皇の訪中に反対する声明
1992年8月15日
No.S09
皇太子結婚の日の休日化に反対する
1993年1月17日
No.S10
「核保有容認発言」に抗議し、非核三原則の立法化を求める声明
2002年9月28日
No.S11
栗ヶ沢バプテスト教会 吉高叶牧師 無期限断食行動への連帯メッセージ
2003年2月11日
No.S12
石原都知事の靖国神社参拝に反対する声明
2003年7月28日
No.S13
小泉首相の靖国神社参拝に抗議します
2005年10月17日
No.S14
イラク特措法に反対する
2003年7月7日
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No.S03
明治学院大学森井学長「学長声明」に対する恵泉バプテスト教会社会部からの書簡
1989年1月25日
栄光在主
昨年10月、天皇の様態が悪化して以降のマスコミの過剰な報道と、政府をはじめとする上からの「自粛」圧力が日毎にエスカレートするなかで、明治学院大学がいち早く「学長声明」を出され、天皇の戦争責任、天皇制が内外に多大な犠牲と惨禍をもたらしたこと、そして「人間の精神を抑圧し、思想・信仰・表現・行為などの自由をそこなう」ものに対する否をXデーのときの考え方の原則として明示されました。
このことは我が国を覆う無責任な天皇賛美の風潮に対する批判の根拠ともなり、森井学長の新聞・雑誌等でのインタビュー記事と合わせて、学内にとどまらず広く一般の心ある人々の共感をよび、一連の活発な天皇問題発言の契機ともなりました。それは、その後のマスコミの報道姿勢を正すことにもつながりました。恵泉バプテスト教会に集う私たちキリスト者にとっても大きく励まされる思いです。
恵泉バプテスト教会は「かつて、天皇制イデオロギーと国家神道がもつ悪霊的性格を批判し得ず、「八紘一宇」の名のもとに、アジア侵略、差別と抑圧、戦争等をひきおこしていった悪魔的諸力の前に沈黙し、迎合していった教会」(靖国神社問題に対する日本バプテスト連盟の信仰的立場 1982年)の罪責を想起しつつ、「靖国神社公式参拝」阻止の運動や「自衛官合祀拒否訴訟」を通して、信教の自由・政教分離の問題について「見張り人」としての使命を果たすべく取り組んできました。
今回の新天皇の即位では国家神道儀式である「剣璽渡御ノ儀」を「剣璽等承継の儀」とすることによって国事行為として行うなど、戦前に国家神道が果たした危険な役割を反省して定められた「政教分離原則」に明らかに違反し、憲法を空洞化するものであり、わが国の民主主義の行方に深い危惧を抱きます。
アジア諸国を侵略し、その民衆の生命や自由を奪いとった私たちは、再びわが国が他国の民衆を抑圧することを許さないように、この時にあって眠りこむことなく「平和を造り出す者」としての闘いを続けていきたく思います。
森井学長をはじめ、明治学院大学の天皇問題集中講義に参加された教員の方々に、いやがらせや脅迫行為等が行われていることを知り案じております。明治学院大学のこの度の姿勢に共感し、感動したものとして、共に主にあるものとしての感謝の意を表わしたく筆をとらせていただきました。
皆様の御健康を心よりお祈りします。アーメン
「神は、すべてのことを自らにとって益となるように役立たせる人間を必要とされる。私は、いかなる困窮に際しても、われわれが必要とする限りの抵抗力を神がわれわれに与えられると信じる」(ボンヘッファー)
1989年1月25日
恵泉バプテスト教会社会部
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No.S05
中東戦争に反対する恵泉バプテスト教会社会部声明
1991年2月9日
1991年1月17日未明アメリカ軍を中心とした「多国籍軍」によるイラク・クウェートに対する軍事進行によって開始された「湾岸戦争」は今や、イスラエル・サウジアラビヤ・トルコなどを巻き込み「中東戦争」へと拡大する一方です。
現代の戦争において真の勝利者は存在せず、為政者の都合による戦争が人々の生存権を脅かすのみでなく、国土をも荒廃させることは私たちの歴史からも明らかです。
近代的な兵器の登場は、多くの民衆を巻き込む戦争であることを意味するばかりでなく、油田破壊、原油の流出など、私たちのかつて経験したことのない地球規模の環境破壊にも繋がります。
私たち恵泉バプテスト教会は、過去20余年にわたりヤスクニ問題と取り組んできましたが、我が国においても先の戦争によって「聖戦」「英霊」「大東亜の平和」というスローガンが叫ばれ、為政者によって利用され、そのため民衆が駆り立てられた歴史を学びました。そして「聖戦」とか「平和」とかいかなる理由であれ「正義」なる戦争が存在しないことを訴えてきました。
私たちは、信仰告白に基づき聖書に言われる「平和をつくり出す人たちは幸いである」(マタイによる福音書)の言葉に立ち、平和憲法を有するわが国の政府が、いかなる理由であれ戦争に協力することに反対すると共に、以下のことを要求いたします。
1.政府が、中東戦争の平和的解決に向けて国連を初めとした国際機関において、積極的な平和外交を展開をされることを要求いたします。
2.私たちの血税が、ミサイルなど「多国籍軍」への支援金に使用されないことを要求いたします。
3.平和憲法をないがしろした、自衛隊の海外派兵の即時中止を要求します。
4.私たちは、そもそも憲法違反である自衛隊の存在自体が、今後とも戦争を生み出し続けることを憂い自
衛隊の解散を要求いたします。
1991年2月9日
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No.S06
自衛隊のPKO参加に反対し、天皇のアジア訪問に反対する声明
1991年9月10日
日本国憲法の前文に記されている「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)は人類の歴史の中で最も進んだ人権思想であり、「21世紀的権利」であると言われています。そしてこの人権を具体的に保障するために、憲法は第9条において戦争の放棄、武力による威嚇又は武力の行使の放棄を宣言し、その目的を達成するために、戦力の不保持を規定しています。
この平和憲法は、世界大戦における言語を絶する「惨禍」の反省から生み出されたものであり、数千万人の戦争犠牲者の血によって書かれたものであると言わなければなりません。日本はこの平和憲法の世界史的異議を自覚し、平和憲法を厳守し、それを世界の憲法にする使命を与えられています。
しかるに、政府は警察予備隊設置以来、なしくずし的に平和憲法を空洞化させて、盛会第3位の軍事費を持つ軍隊を作り、今年の4月には海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に送り、更に今の臨時国会に国連平和維持部隊(PKO)協力法案を提出して、自衛隊の海外派兵を合法化し、自衛隊を認知させようとしています。これは平和憲法の実質的破壊であり、その既成事実の上に立って平和憲法を「改正」しようとする極めて危険な動向であって、断じて許すことはできません。私たちは平和を作り出す課題を与えられているキリスト者としてPKO法案に強く反対します。
聖書が主張している「平和」(シャーローム)は真に戦争がないという消極的・静的な状態でなく、民衆の人権が確立している、生命力に満ちあふれた動的な状態(積極的平和)を意味します。従って、それは大国が力で押しつける抑圧的な「平和」とは根本的に相違し、対立せざるをえません。私たちはそのような聖書の平和思想の立場から、「平和」に名を借りた大国の支配に反対し、イエス・キリストの精神に従って、最も弱い立場に置かれている人々(第三世界)の解放と人権確立を求めます。
政府は自衛隊の海外派兵を円滑にするために、天皇夫妻のタイ・マレーシア・インドネシア訪問を9月26日から10日間の日程で実行しようとしています。これは天皇の権威によってアジアに対する日本の帝国主義的支配を強化することであり、戦前・戦中への復帰にほかなりません。また、皇室外交は憲法に規定されている「天皇の国事行為」の範囲外であって憲法違反でもあります。私たちは天皇夫妻のアジア訪問に強く反対します。
1991年9月10日
恵泉バプテスト教会 社会部
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No.S07
PKO法案の廃案を求める要望書
1991年11月25日
私たちは聖書に示されている平和と人権の思想の実践を課題と考えているキリスト者ですが、特に旧約聖書のイザヤ書2章の次の言葉の実現を心から強く願う者です。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」
この有名な言葉は人類最古の武力廃止・絶対平和の思想を示すものであり、国連本部の建物にも刻まれていますが、国連はその憲章(42条・51条など)において武力の行使を認めており、イザヤの平和思想に達していません。それに反して、戦後の日本国民は、15年戦争の惨禍を深く反省して憲法の前文に平和的生存権を明記し、第9条で武力による威嚇と武力の行使を否定し、それを確実に保障するために戦力の不保持を規定しました。これはイザヤの思想が一国家の憲法に法文化されたことを意味しており、人類の歴史において画期的な重要性を持っています。
しかるに、政府は今、この憲法の「崇高な理想と目的を達成する」努力を放棄して、武力肯定の国連の立場に立つこと(国連中心主義)を主張し始めました。私たちはこの政府の動向に強く反対せずにいられません。
1954年の参議院本会議は、自衛隊の海外出動を行なわないことを満場一致で決議しました。PKO法案はこの国会決議を全面的に覆すものであり、民主主義を否定するものです。
11月10日に発表された朝日新聞の世論調査では、自衛隊のPKF参加に対して58%が反対しています。憲法学者は80%が反対しています。中国・韓国などのアジア諸国からは次々と批判と警戒の声があがっています。また、11月15日の朝日新聞は、国連事務局担当者が「武器使用を日本人要員の防衛に限って認める」という同法案の日本政府見解は通用しないと述べたことを報じています。このように、国民の声とアジア民衆の声を無視し、国連当局との矛盾を隠蔽して、ひたすら自衛隊を認知させ、いわゆる「国際貢献」の名のもとに多国籍帝国主義に大きく加担し、その中で日本の発言力と支配力を強めようとする政府の態度は「隷従と圧迫を地上から永遠に除去しようと努めること」(憲法前文)とは正反対のものです。
ごく最近になって、PKO原則を示す国連文書と日本政府見解との違いが「指揮」「武器使用範囲」「撤収」に関して明らかにされました。これらは、既に指摘されてきた集団的自衛権、文民統制、上官が判断を束ねるという組織的対応(武力行使)など多くの問題と共に、PKO法案の違憲性・危険性を示しています。
私たちはこのような法案の廃案を強く求めます。
1991年11月25日
恵泉バプテスト教会社会部
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No.S08
天皇の訪中に反対する声明
1992年8月15日
政府・自民党は天皇の中国訪問を10月に予定している。
なぜ今中国訪問なのか。政府・自民党としては、民衆の間に今も天皇の戦争責任問題、「従軍慰安婦」問題、外国人登録法問題等アンチ天皇の声が高い韓国訪問より、「治安」問題も少なく、天安門事件等によって国際的にダウンしたイメージをなんとか取り戻し、経済援助を含めた経済改革により政権の安定を図ろうとしている中国政府の立場に便乗して、天皇・皇軍の戦争責任問題をおそらく言葉の上で処理できやすい中国を天皇の先の訪問国に選んだことは想像にかたくない。
しかし、そもそも天皇による「皇室外交」は「日本国憲法第七条」に規定されている天皇の国事行為を逸脱する行為にほかならない。
憲法に違反する天皇による外交を露払いとして、アジア各国に新たなる経済権益を求めていく我が国の姿勢こそ、もっとも避けなくてはならない道である。
我が国が本当の意味で「国際貢献」を果たしていかなくてはならない事柄は、軍隊を海外に派兵させることでなく、アジア各地において自ら犯した戦争犯罪の歴史に対して「悔い改め」、アジアに今も残る戦争責任の課題を最大限の努力をもって償うことではないだろうか。
天皇の名のもとアジアを軍靴で踏みにじり、国土を蹂躙し、生命を奪ってから、わずか47年しか経ていないことを忘れてはならない。
さる7月大阪高裁において「靖国神社公式参拝」に対して違憲の判決が行われた。
PKOによって「新たなる英霊」が生み出されようとしている今、我々には天皇の訪中が新たなるアジア侵略の足音に思える。政府に対し我々は、すみやかに天皇による違憲外交を中止することを要求する。
1992年8月15日
恵泉バプテスト教会 社会部
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No.S09
皇太子結婚の日の休日化に反対する
1993年1月17日
私たちはキリスト者として、アメリカ独立宣言にも書かれているように、「すべての人間は平等に創造されていること」を信じ、天皇という特別な身分の存在を否定します。日本国憲法十四条にも「すべて国民は、社会的身分、門地により差別されない」と書かれており、皇室だけをその例外としている日本社会の在り方は憲法の平等原理と矛盾していると言わなければなりません。
この矛盾は根本的には天皇制を廃止しなければ解決しませんが、現行憲法の下でも、皇室の特別扱いを最小限にすることは可能であり、民主主義憲法の要請するところであります。
そのような立場から、私たちは皇太子結婚の日を休日にすることに強く反対します。
「休日」は「祝日」を意味しており、当日を国民の休日にすることは国民に祝意を強制することになります。国民の中には皇太子の結婚に無関心な人々や、それを祝いたくない人々がいます。特に戦前・戦中に天皇制国家のために残虐きわまる被害を受けた在日朝鮮人・沖縄人はじめ日本人の中にも天皇家の結婚を祝う気持ちになれない人々がいることは当然です。そのような人々に祝意を強制することは「思想・良心の自由」の侵害であり、精神的暴力にほかなりません。
休日化によって天皇家の行事を国民的行事にすることは、天皇制による国民統合を強化し、国民の意識を一定の方向に方向づけようとする政治的な意図によるものであって、極めて危険な動きです。具体的な問題として、祝日化に伴って「日の丸・君が代」の強制が進むこと、祝賀行事に公務員などが不本意に協力させられ、公費が支出されること、労働日数が減少して不利益を受ける人がいることなどは、見逃すことのできない重大な問題です。
以上の理由から、私たちは皇太子結婚の日の休日化に強く反対します。
なお、過剰報道も皇室の特別扱いを助長して民主主義を破壊しますので、マスコミ関係者が皇室報道のあり方に十分注意されることを強く要望します。
1993年1月17日
恵泉バプテスト教会社会部
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No.S10
「核保有容認発言」に抗議し、非核三原則の立法化を求める声明
2002年9月28日
福田康夫官房長官は、本年5月31日、「非核三原則は変わることもありえる」「日本が核兵器を持つことは、理屈から言えば持てる」などと発言した。
また安倍晋三官房副長官は、5月13日、早稲田大学で「大陸間弾道弾の保持は憲法上問題ではない」「憲法上は原子爆弾も小型であれば問題ない」「戦術核を使うことは、岸総理大臣が『違憲ではない』との答弁をしている」と述べた。
官房長官・副長官のこれらの発言は、アメリカのブッシュ大統領の核戦略強化政策に追随する日本政府の姿勢を顕にした危険なものであり、それらの発言が1971年に国会で決議された「非核三原則」に違反し、1976年に日本も批准した「核兵器不拡散条約」にも違反し、憲法第9条の「戦力不保持」違反することは明白であって、私たちは強い憤りと危機感を覚える。
小泉首相は2001年8月6日に広島で「人類史上唯一の被爆国である我が国は、平和憲法を尊守し、非核三原則を堅持する」と述べ、今年の8月6日にも広島で「非核三原則を堅持し、核廃絶に全力で取り組む」と発言し、「非核三原則は日本の国是である」と繰り返し語っている。従って、小泉首相はその方針とは全く相反する意見を語った政府首脳を罷免するのが当然である。にもかかわらず、小泉首相が政府首脳の不当な発言を放置しているという事態に直面して、私たちは、国会決議だけでは不充分であり、非核三原則を立法化して縛りを厳重にしなければならないと考える。
非核三原則の立法化によって、次のことを達成することができ、また、達成しなければならないと私たちは考える。
第1に、日本政府の非核の立場に一貫性をもたせる。
第2に、アメリカの核持込みを法的に禁止する。
第3に、現在のように「非核三原則」と「アメリカの核抑止力(核の傘)への依存」の両立を維持するという、曖昧で矛盾に満ちた、国際的に全く通用しない政策から脱却して、対米依存路線から日本独自路線へ転換する。
第4に、日本を非核地帯とし、アメリカの核戦争政策に加担せず、国際緊張を緩和し、アジア・太平洋における安全保障の枠組作りに貢献する。
第5に、世界の核密度を引き下げることによって、核事故の危険度を減少させる。
これらを達成することによって世界の非核化の先頭に立つことが、被爆国日本の責務であり、被爆者の叫びに応える唯一の道である。
「核抑止力」に依存することは、果てしない核軍拡競争を引き起こし、恐怖と相互不信の連鎖を生み出し、核事故の危険を招くだけである。
私たちは、平和の主イエス・キリストに従う群れとして、戦争によって再び加害者にならないという立場から、政府首脳による「核保有容認発言」に対して強く抗議しその撤回を求めると共に、国会が一日も早く非核三原則の立法化に取り組むことを切望し、将来的には世界非核国際法の制定を期待する。
2002年9月28日
恵泉バプテスト教会 社会部
付記 1948〜89年に故宇都宮徳馬氏を座長とする「核軍縮を求める22人委員会」によって非核三原則の立法化が準備され、「非核法案(仮称)骨子」が作成されている(岩波ブックレット『非核三原則の立法化を』参照)。
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No.S11
栗ヶ沢バプテスト教会 吉高叶牧師 無期限断食行動への連帯メッセージ
2003年2月11日
吉高牧師の断食行動への連帯メッセージを送ります。
アメリカの指導者の為に、イラクの指導者の為に、NATOに参加している国々の指導者の為に、そして、日本の指導者の為に、武力は平和への何の解決にはならないことを、
判ってもらえるように、私たちは祈ります。
私たちの教会は、二月九日「信教の自由を守る主日礼拝」の後の教会セミナーで「平和
宣言」を学びました。「教会は、戦争の役に立たない者として生きる」という「平和宣言」から得た、あなたの思いと、私たちは、 心を合わせて祈ります。
また私たちは、今月末まで11時から2時まで、キリスト者平和ネットの呼びかけで行
われているアメリカ大使館前での抗議座り込み連続行動に連帯します。
私たちは、教会として何が出きるか、何をしなくてはならないかを、そして教会だからこそできることを模索しつつ恵泉バプテスト教会の信仰告白に基づき、平和を実現する歩みをさらに進めて行きます。
2003年2月11日
恵泉バプテスト教会社会部
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No.S12
石原都知事の靖国神社参拝に反対する声明
2003年7月28日
東京都知事 石原慎太郎 様
私たち恵泉バプテスト教会は2001年5月20日第54−2回定期総会において、「日本国憲法第九九条に規定されている『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う』ことを内閣総理大臣として改めて自覚し、靖国神杜参拝を行わないことを私たち恵泉バプテスト教会は、ここに強く要講するものであります。」と小泉首相に対し、靖国神社参拝を行わないように強く要請した経緯があります。
しかるに、石原都知事は今年3月の都議会予算特別委員会における、靖国神社参拝に関する質問に対して、「九十九条違反で結構でございます。私は、あの憲法を認めません。」とまで発言されました。
さらに、今年8月15日に4年連続して靖国神社参拝を強行されようとしています。
私たちバプテスト派を標榜する教会は「政教分離」を大切にしていくことを教派的特長としています。そして「政教分離原則」は、なによりも基本的人権である信教の自由に関わるものです。
一宗教法人である靖国神杜を、東京都知事として参拝される行為は、1997年の愛媛玉串料違憲訴訟における最高裁判所の違憲判決を掲げるまでもなく、靖国神杜という特定の宗教団体に対する援助・助長行為となり、憲法第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」に違反する違憲行為であることは疑いの余地がありません。
2002年6月18日の第2回定例会において都知事は「私は、要するに、あの靖国神社という、遠くは明治の維新の倒れた志士たちから、あるいは、あの太平洋戦争の直後ですよ、戦闘が一応正式に終結したのに、北方四島をかすめ取ったソビエトが攻めてきて、最後にあそこで、もう私は死にます、本土の皆さん、お健やかにといって、電話の取り次ぎを終えて、あそこで凌辱され、殺害された交換手たちも祭られているわけですな。これを、つまり、A級戦犯が合祀されているということをもって、その正当性というものを、外国が否定するいわれはないし、否定されるいわれもないし、私はそういう自覚を持っておりますから、総理大臣になろうがなるまいが、八月十五日に参拝をさせていただきます。」と答弁され、あえて樺太・真岡郵便局電話交換手の自決事件を取り上げられています。
しかし、この真岡郵便局電話交換手の自決事件が、自らは生き延びた上司などによる「自決強要」であったことには言及されず、ことさらに取り上げられることに私たちは、強い怒りを感じるものです。
日本国憲法第99条に規定されている「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」ことを東京都知事として改めて自覚し、これまでの靖国神社参拝について反省し、今年以降の靖国神杜参拝を行わないことを私たち恵泉バプテスト教会は、ここに強く要講するものであります。
2003年7月28日
宗教法人 恵泉バプテスト教会 社会部
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No.S13
小泉首相の靖国神社参拝に抗議します
2005年10月17日
内閣総理大臣 小泉純一郎様
本日、行われた首相の靖国神社参拝に対して抗議します。私たち恵泉バプテスト教会は、平和と和解の主イエス・キリストに従う群れです。また、ピリューリタン革命の担い手として特に「信教の自由・政教分離原則」を強く主張し、近代市民社会の自由権、平等権の確立に貢献してきた歴史を持つ、キリスト教プロテスタントのバプテスト派に属するものです。
私たちは、貴職が靖国神社参拝を行なわないよう要請した声明、また靖国神社参拝を行ったことに対しての抗議声明を出した経緯があります。
貴職が、一宗教法人である靖国神社に参拝したことに対して、日本のみならず韓国を始めアジア諸国の戦没遺族者などが貴職を提訴し、本年9月30日に大阪高裁では「違憲判決」が出されました。
靖国神社は明治以降の日本が、欧米列強に伍してアジア支配を行おうとした日本の軍国主義的政策にそって、その精神的な支柱として当時の政権によって作られた得意な軍事的宗教的施設であることは明白な事実です。
一国の長である貴職が国の大阪高裁での「違憲」判決が出たにもかかわらず、最高法規である憲法を無視して参拝を行ったことは法治国家として恥ずべき行為であると言えます。
このような誤った行為を真摯に反省し、繰り返すことのないよう申し入れと抗議をします。
宗教法人恵泉バプテスト教会社会部
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No.S14
イラク特措法案に反対する
2003年7月7日
われわれは、日本政府がイラク「復興」のために自衛隊を派兵する「イラク特措法案」に強く反対する。
2003年3月20日に始まった米英軍によるイラク攻撃は、国連をも無視し、仏露中独を始めとする各国や全世界の市民による広範な国際世論の反対を押し切って行われた暴挙である。そしてその戦争は今でも継続中であり、「復興」とは戦争の別名であって、侵略・征服・占領を軍事力で定着させる過程を意味している。われわれは、米国のイラク攻撃に反対した市民として、そのような「復興」という軍事過程に協力することを拒否する。民間人ではなく自衛隊を派遣すること自体が、「復興」が軍事行動であることを証明している。派遣される自衛隊員が「敵」を殺害し、或いは殺害される可能性があることはマスコミでも指摘されている。
小泉首相の頻繁な靖国神社公式参拝は、自衛隊員の戦死という事態に備える行為であったことが明らかになった。小泉氏はよく備えていたから憂いなく特措法を成立させようとしているのだろう。
米国がイラク攻撃を正当化した唯一の理由であった「イラクの大量破壊兵器保有」は、現在に至っても証明されておらず、米国の攻撃の正当性は大きく疑われている。また、米国がクラスター爆弾など極めて非人道的な兵器を使用し、数千人以上のイラク民間人を殺害したことの犯罪性も大きい。
小泉首相は米国のイラク攻撃を支持すると宣言したが、それは国会決議を経たものではない。そのような日本人民の意思と無関係な小泉氏個人の独裁者的な宣言に対して人民が責任を負うことはできず、またその必要もない。
小泉首相は米国の戦争を支持する理由として国連中心主義を挙げることはできず、日米同盟だけを挙げたが、イラク問題は「日本と極東の平和と安全」に関係ない問題であるから日米安保条約と無関係である。日本は米国の暴走をチェックする国際的責任があったのである。そして、現在もイラクにおける対立を平和的に解決する責任が日本に課せられている。しかるに、「復興」の名による米国の武力制圧を日本が自衛隊派兵によって助けることは、平和憲法の立場に根本的に違反している。
イラクへの派兵は専守防衛とは無関係であって、現在の日本政府の憲法解釈からも、その違憲性は明白である。
イラクの再建は米国や日本など帝国主義諸国家の利益のために行われるべきではなく、イラク人民自身によってイラク人民自身のために行われるべきであり、戦禍に苦しむイラク人民に対する医療・食糧等の援助は、非武装組織で行われるべき課題である。
われわれは、ブッシュ大統領と小泉首相の戦争責任を追及し、国際問題の平和的解決を求め続ける。
われわれは「平和を求めて、これを追え」(Ⅰペテロ3・11)という言葉と、「求めよ、そうすれば与えられるであろう」(マタイ7・7)という言葉に導かれ、平和を熱心に求めるならば必ず与えられることを信じて、あきらめずに平和を求めて実践して行きたいと思う。次々と悪法を作って民衆をあきらめさせようとするのが権力(サタン)の策略であり、その策略に抗して神の働きは練達と希望をわれわれの中に生み出すのである。
2003年7月7日
恵泉バプテスト教会 社会部