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教会案内201811.pdf | |
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バプテストとはキリスト教プロテスタントの一教派の名称です
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教会員の証し
信仰告⽩
わたしは、いま50歳です。⽣まれてから50年の時間がかかりましたが、ようやく「神さまの愛」を知ることができました。
2年前の秋のこと。娘の幼稚園を決めるために、説明会に⾜をはこんでいました。そのうちのひとつが、めぐみ幼稚園でした。教会の付属幼稚園ということに対する抵抗感はありませんでしたが、特別な思い⼊れもありませんでした。はじめて教会のなかに⼊って、そこで松村園⻑先⽣の話を聞きました。すると思ってもみなかった涙が溢れ出していました。そのあとつづいて教会の福永牧師からの話を聞いていると、さらに涙が⽌まらなくなっていました。予想外の展開に正直、驚きました。涙がこぼれてくる理由がわからなかったのです。しかしこの教会のやわらかい光、その中で⼼をつよく揺さぶられたことは、はっきりと憶えています。
この⽇をさかいに気になリ始めました。バプテストって、何だろう?カトリックと何が違うんだろう? 「神は愛」ってどういうこと? もうほんとにそんなレベルでしたが、めぐみ幼稚園へと、こころを決めて、いざ⾯接にやって来ました。説明会の時に教会でお話をされたお⼆⼈が、⽬の前にいらっしゃいました。娘はふだんと違う状況に、親はこの幼稚園に⼊園できたらいいなという思いから、少し緊張した感じだったと思います。それをほぐすような、決定的なあたたかい⾔葉をいただいて、涙のダムはあっさりと決壊しました。ここに来るといつも泣いてばっかりいるなぁ。なんなのかな、これは? やわらかく、まあるく、穏やかに、研ぎ澄まされていくような、これまであまり感じたことのない、この感情の正体はいったい何なのか、それを確かめたいという気持ちから「礼拝」に⾏ってみようと思いました。
⼩さいころ家には仏壇がありましたし、神棚もありました。特に宗教というものに関⼼を抱いたことはなく、信仰と⾔えるものもありませんでした。せいぜい初詣で神社に⾏き、新年の抱負を誓ったり、困った時に都合よく神さまにお願いをしてみたり。その神さまは誰なのかを意識したこともありませんでした。まして聖書や教会との交わりは⼀度もありませんでした。 20代の頃からずっと仕事中⼼、⾃分中⼼の⽣活をしてきた僕らは、⼦どもが産まれて⼦ども中⼼の⽣活に劇的に変わりました。⾚ちゃんだった娘が⾷べるようになり、歩くようになり、話すようになり、⼩さな命がひとのかたちになっていく過程で、これまで⾃分にはなかった考えに触れる機会が増えてきました。シュタイナー教育、⾃由学園の⽣活団。私⽴、お受験。⼦どもの幼稚園をどこにしようか?問題を経て、めぐみ幼稚園と出会い、⽇曜⽇、教会に⾜をはこぶようになりました。
はじめてひらく聖書、聞いたこともない賛美歌、福永牧師をとおしていただく神の御⾔葉たちが、頭の中を巡りその時々のいろんな思いとシンクロしていきます。礼拝の帰り道、けこぼ坂を降りながら、気持ちのもやもやが晴れて透きとおっていくのを感じていました。この時点ではまだ信仰や祈りというものが、なんなのか、関⼼はそこではなかった気がします。なので、こんな気持ちで教会に来ていていいのかな?と申し訳ない気持ちも⽣まれてきました。そこで、教会の椅⼦の背のところにある礼拝応答カードにその思いを書き込んでみました。その後、福永牧師から聖書のこと、そもそも神さまって誰なのか? 教会って何? そして祈るとは?
たいせつなことを教えていただき、「決⼼する」ということについて考えはじめました。
そしてこれらは、すべて神さま主イエス・キリストの招きによることだと、知りました。じゃ、イエス・キリストを救い主として信じるか? 復活したってほんとに信じられるか? そもそも信じるって何だろう? 信じるとどうなるんだろう? 信じること、信仰についての問いがどんどん⽣まれて、考えが⾏ったり来たりする⽇々がはじまりました。
「信じること」と「信じてもらうこと」について深く考えることになった出来事が数年前にありました。100%信じてくれていた⼈の気持ちをわたしは裏切りました。その背景には、信じていない⾃分がいました。途⽅もなく⾟い思いをさせました。同じだけ⾃分も⾟い思いをすることになりました。信じてもらう前に、⾃分から信じること。信じる⼈がいるってのは、幸せなこと。「信じること」「与えること」「愛すること」これらは同じことなんだと気づけたことは、導きのはじまりだったのかもしれません。
話は変わりますが、わたしは、広告のクリエーティブにかかわる仕事をしています。1⽇として同じ⽇がない毎⽇。たくさんの⼈や才能と出会い、競い合い、じぶんに向かって⼀⽣懸命になってきました。世の中を、だれかを、幸せにするはずの仕事なのに、忙しさを⾔い訳にして、⽇々、じぶんの⼼を亡くして、関わる多くの⼈の⼼を雑に扱って、ときに傷つけてきました。成⻑させたかったスキルよりも、もっとぜんぜん⼤切なもの。じぶんに⽋けた根っこの部分に気づくことになりました。それはまさに幼稚園で育まれる⼟台の部分。「愛でこころを満タンにする」、じぶんは「いつも祈られている」、そしてそれを「信じて恐れない」。娘の幼稚園を決めるプロセスは、実は、私に⽋けたものを知るプロセスでもあったのです。 放っておくとすぐに愛のない⾃分が顔を出してきます。そのことを振り返り⾃分の⾄らなさに落ち込み、神さまに救いをこい、⽴ち上がって、また前に進むことを繰り返します。「祈る。解放される。⾃由になれる。」これが⽇曜の朝に教会へと、⾜を向かわせているのだとわかってきました。
そして、もうひとつは病いのことです。ちょうど教会に通い始めた頃、がんが⾒つかりました。早期発⾒の肺がんでステージは1b。若いし⼿術でとればよくなると思っていました。ところが⼿術をした後にしばらくして肺からお腹へと再発転移をしました。2ヶ⽉も経たないうちにまた⼿術となり、腫瘍とともにさらにいくつかの臓器を部分切除することになりました。ステージは4になって、調べるうちに⾃分と同じ種類のがんのひとは⻑く⽣きていないことがわかりました。パソコンに向かうと、保険を調べたり、葬儀屋を検索したり、お墓を検索したりするようになりました。同時に⼈⽣を振り返って⽣きてた意味を、考えるようになりました。これまでの全ての選択を肯定したい気持ち、間違えてたんじゃないかって思い、与えるどころか、⼈から奪ってばっかりの⼈⽣。裁きたくなったり、謝りたくなったり、いろんな感情が頭の中をぐるぐる㕩っていました。4歳の娘を残して死ぬわけにいかないくせに、果てしなく、どうしようもなく、⼩さくて、弱い⾃分を知りました。悔い改めて、⽣き直すことができるのならそうしたい。こんな病い、ほんとはいらなかったけど、与えられた以上は無駄にしたくないという気持ちが⽣まれました。
メメント・モリ。死を憶えて、⽣・命の意味を知る。そして、⽣きる。
世の終わりが来ようとも、種を蒔く、コヘレトの神さまによる⼈間への応援歌はこころに迫ってきました。
「受けるよりは、与える⽅が幸い」(使徒⾔⾏録20:35節)
「神からの祝福を与える⼿として、⼿は空にしておく」(ルカ9:10節)
どうぞ神さま、わたしの空のほうの⼿を、愛で、満たしてください。
そして、その愛で、ひとのため祈れるようにさせてください。
わたしのこころが確かなのかどうかを問いながらバプテスマの準備をするなかで、ある⽇「もしかしたら、⾃分はここにいなかったのかもしれない」と、ふと思うことがありました。⾃分の意思だけでここに辿り着いたわけではない。この50年の間に出会ったひと。彼らが教えてくれて、祈ってくれて、導いてくれた。結果、わたしは今ここで、信仰告⽩⽂を読んでいる。
「決⼼」いたします。
神さまによるこれら、すべての導きに感謝いたします。私の⽇々の罪のために⼗字架にかかり、葬られ、三⽇⽬に復活した神の御⼦イエス・キリストが、わたしを⽣かしてくれる救い主であることを信じます。そして、問いをつづけます。神さまが私に授けてくれた⽣涯かけての仕事とは何なのか。これらを神さまのご⽤のために⽤いてください。
はじめてこの教会に来たときに⾒たやわらかい光、わけのわからなかった涙、やわらかく、まあるく、透きとおっていく感情、今ならこれらの正体がなんだったのか、わかります。
それは「神さまの愛」です。
この愛に包まれた教会で、主イエスの体の⼀部となり、愛のために働けるものとして出発させてください。
わたしは、いま50歳です。⽣まれてから50年の時間がかかりましたが、ようやく「神さまの愛」を知ることができました。
2年前の秋のこと。娘の幼稚園を決めるために、説明会に⾜をはこんでいました。そのうちのひとつが、めぐみ幼稚園でした。教会の付属幼稚園ということに対する抵抗感はありませんでしたが、特別な思い⼊れもありませんでした。はじめて教会のなかに⼊って、そこで松村園⻑先⽣の話を聞きました。すると思ってもみなかった涙が溢れ出していました。そのあとつづいて教会の福永牧師からの話を聞いていると、さらに涙が⽌まらなくなっていました。予想外の展開に正直、驚きました。涙がこぼれてくる理由がわからなかったのです。しかしこの教会のやわらかい光、その中で⼼をつよく揺さぶられたことは、はっきりと憶えています。
この⽇をさかいに気になリ始めました。バプテストって、何だろう?カトリックと何が違うんだろう? 「神は愛」ってどういうこと? もうほんとにそんなレベルでしたが、めぐみ幼稚園へと、こころを決めて、いざ⾯接にやって来ました。説明会の時に教会でお話をされたお⼆⼈が、⽬の前にいらっしゃいました。娘はふだんと違う状況に、親はこの幼稚園に⼊園できたらいいなという思いから、少し緊張した感じだったと思います。それをほぐすような、決定的なあたたかい⾔葉をいただいて、涙のダムはあっさりと決壊しました。ここに来るといつも泣いてばっかりいるなぁ。なんなのかな、これは? やわらかく、まあるく、穏やかに、研ぎ澄まされていくような、これまであまり感じたことのない、この感情の正体はいったい何なのか、それを確かめたいという気持ちから「礼拝」に⾏ってみようと思いました。
⼩さいころ家には仏壇がありましたし、神棚もありました。特に宗教というものに関⼼を抱いたことはなく、信仰と⾔えるものもありませんでした。せいぜい初詣で神社に⾏き、新年の抱負を誓ったり、困った時に都合よく神さまにお願いをしてみたり。その神さまは誰なのかを意識したこともありませんでした。まして聖書や教会との交わりは⼀度もありませんでした。 20代の頃からずっと仕事中⼼、⾃分中⼼の⽣活をしてきた僕らは、⼦どもが産まれて⼦ども中⼼の⽣活に劇的に変わりました。⾚ちゃんだった娘が⾷べるようになり、歩くようになり、話すようになり、⼩さな命がひとのかたちになっていく過程で、これまで⾃分にはなかった考えに触れる機会が増えてきました。シュタイナー教育、⾃由学園の⽣活団。私⽴、お受験。⼦どもの幼稚園をどこにしようか?問題を経て、めぐみ幼稚園と出会い、⽇曜⽇、教会に⾜をはこぶようになりました。
はじめてひらく聖書、聞いたこともない賛美歌、福永牧師をとおしていただく神の御⾔葉たちが、頭の中を巡りその時々のいろんな思いとシンクロしていきます。礼拝の帰り道、けこぼ坂を降りながら、気持ちのもやもやが晴れて透きとおっていくのを感じていました。この時点ではまだ信仰や祈りというものが、なんなのか、関⼼はそこではなかった気がします。なので、こんな気持ちで教会に来ていていいのかな?と申し訳ない気持ちも⽣まれてきました。そこで、教会の椅⼦の背のところにある礼拝応答カードにその思いを書き込んでみました。その後、福永牧師から聖書のこと、そもそも神さまって誰なのか? 教会って何? そして祈るとは?
たいせつなことを教えていただき、「決⼼する」ということについて考えはじめました。
そしてこれらは、すべて神さま主イエス・キリストの招きによることだと、知りました。じゃ、イエス・キリストを救い主として信じるか? 復活したってほんとに信じられるか? そもそも信じるって何だろう? 信じるとどうなるんだろう? 信じること、信仰についての問いがどんどん⽣まれて、考えが⾏ったり来たりする⽇々がはじまりました。
「信じること」と「信じてもらうこと」について深く考えることになった出来事が数年前にありました。100%信じてくれていた⼈の気持ちをわたしは裏切りました。その背景には、信じていない⾃分がいました。途⽅もなく⾟い思いをさせました。同じだけ⾃分も⾟い思いをすることになりました。信じてもらう前に、⾃分から信じること。信じる⼈がいるってのは、幸せなこと。「信じること」「与えること」「愛すること」これらは同じことなんだと気づけたことは、導きのはじまりだったのかもしれません。
話は変わりますが、わたしは、広告のクリエーティブにかかわる仕事をしています。1⽇として同じ⽇がない毎⽇。たくさんの⼈や才能と出会い、競い合い、じぶんに向かって⼀⽣懸命になってきました。世の中を、だれかを、幸せにするはずの仕事なのに、忙しさを⾔い訳にして、⽇々、じぶんの⼼を亡くして、関わる多くの⼈の⼼を雑に扱って、ときに傷つけてきました。成⻑させたかったスキルよりも、もっとぜんぜん⼤切なもの。じぶんに⽋けた根っこの部分に気づくことになりました。それはまさに幼稚園で育まれる⼟台の部分。「愛でこころを満タンにする」、じぶんは「いつも祈られている」、そしてそれを「信じて恐れない」。娘の幼稚園を決めるプロセスは、実は、私に⽋けたものを知るプロセスでもあったのです。 放っておくとすぐに愛のない⾃分が顔を出してきます。そのことを振り返り⾃分の⾄らなさに落ち込み、神さまに救いをこい、⽴ち上がって、また前に進むことを繰り返します。「祈る。解放される。⾃由になれる。」これが⽇曜の朝に教会へと、⾜を向かわせているのだとわかってきました。
そして、もうひとつは病いのことです。ちょうど教会に通い始めた頃、がんが⾒つかりました。早期発⾒の肺がんでステージは1b。若いし⼿術でとればよくなると思っていました。ところが⼿術をした後にしばらくして肺からお腹へと再発転移をしました。2ヶ⽉も経たないうちにまた⼿術となり、腫瘍とともにさらにいくつかの臓器を部分切除することになりました。ステージは4になって、調べるうちに⾃分と同じ種類のがんのひとは⻑く⽣きていないことがわかりました。パソコンに向かうと、保険を調べたり、葬儀屋を検索したり、お墓を検索したりするようになりました。同時に⼈⽣を振り返って⽣きてた意味を、考えるようになりました。これまでの全ての選択を肯定したい気持ち、間違えてたんじゃないかって思い、与えるどころか、⼈から奪ってばっかりの⼈⽣。裁きたくなったり、謝りたくなったり、いろんな感情が頭の中をぐるぐる㕩っていました。4歳の娘を残して死ぬわけにいかないくせに、果てしなく、どうしようもなく、⼩さくて、弱い⾃分を知りました。悔い改めて、⽣き直すことができるのならそうしたい。こんな病い、ほんとはいらなかったけど、与えられた以上は無駄にしたくないという気持ちが⽣まれました。
メメント・モリ。死を憶えて、⽣・命の意味を知る。そして、⽣きる。
世の終わりが来ようとも、種を蒔く、コヘレトの神さまによる⼈間への応援歌はこころに迫ってきました。
「受けるよりは、与える⽅が幸い」(使徒⾔⾏録20:35節)
「神からの祝福を与える⼿として、⼿は空にしておく」(ルカ9:10節)
どうぞ神さま、わたしの空のほうの⼿を、愛で、満たしてください。
そして、その愛で、ひとのため祈れるようにさせてください。
わたしのこころが確かなのかどうかを問いながらバプテスマの準備をするなかで、ある⽇「もしかしたら、⾃分はここにいなかったのかもしれない」と、ふと思うことがありました。⾃分の意思だけでここに辿り着いたわけではない。この50年の間に出会ったひと。彼らが教えてくれて、祈ってくれて、導いてくれた。結果、わたしは今ここで、信仰告⽩⽂を読んでいる。
「決⼼」いたします。
神さまによるこれら、すべての導きに感謝いたします。私の⽇々の罪のために⼗字架にかかり、葬られ、三⽇⽬に復活した神の御⼦イエス・キリストが、わたしを⽣かしてくれる救い主であることを信じます。そして、問いをつづけます。神さまが私に授けてくれた⽣涯かけての仕事とは何なのか。これらを神さまのご⽤のために⽤いてください。
はじめてこの教会に来たときに⾒たやわらかい光、わけのわからなかった涙、やわらかく、まあるく、透きとおっていく感情、今ならこれらの正体がなんだったのか、わかります。
それは「神さまの愛」です。
この愛に包まれた教会で、主イエスの体の⼀部となり、愛のために働けるものとして出発させてください。
(教会員Fさん)
集会案内
※変更することもあります。
詳細はお問い合わせください。
■主日礼拝(YouTube配信あり)
日曜日 10:15〜11:15
■めぐみ礼拝
(幼稚園・教会学校のご家族向けの礼拝)
日曜日 9:00〜10:00
■教会学校 (幼稚科・小学科)(オンラインも可)
日曜 9:00〜10:00
■祈祷会 (聖書を学び祈る集い)
第二火曜日 14:00〜15:00
毎週水曜日 19:30〜20:15
(オンラインも可)
■夕礼拝(休止中)
土曜日 18:00〜19:00
詳細はお問い合わせください。
■主日礼拝(YouTube配信あり)
日曜日 10:15〜11:15
■めぐみ礼拝
(幼稚園・教会学校のご家族向けの礼拝)
日曜日 9:00〜10:00
■教会学校 (幼稚科・小学科)(オンラインも可)
日曜 9:00〜10:00
■祈祷会 (聖書を学び祈る集い)
第二火曜日 14:00〜15:00
毎週水曜日 19:30〜20:15
(オンラインも可)
■夕礼拝(休止中)
土曜日 18:00〜19:00