恵泉バプテスト教会40周年信仰宣言
わたしたちの恵泉バプテスト教会は、1949年に伝道を開始してから、40年の歳月を過ごしてきました。この40年は、モーセに率いられたイスラエルの民がエジプトでの奴隷生活から解放され、「約束の地」カナンにたどりつくのに要した歳月と同じであります。この40年を記念して、恵泉バプテスト教会は、これまでの歩みをふりかえり、これからのわたしたちの教会の信仰と使命について次のように宣言します。
(参照聖句、出エジプト20:2、申命記8:1〜10、26:5〜9 使徒行伝7:30〜43)
わたしたちは、イエス・キリストの福音の豊かさを隣人に伝え、分かちあう歩みをさらに進めます。
1.
わたしたちは、40周年記念礼拝に、初代の牧会者メアリー・エレン・ドージャー姉をアメリカから招きました。それは、イエス・キリストの十字架と復活による恵みを共にわかちあう者が再開し、伝道の原点を確認しあった喜ばしい時でした。聖書に基づきイエス・キリストを主と仰ぐわたしたちは、愛と恵みにより生かされることを感謝して祈り、互いに仕えあい、一人びとりが大切にされる福音の豊かさを隣人に伝え、わかちあう歩みをさらに進めます。
(参照聖句、使徒行伝1:8、2:46〜47、エペソ4:1〜16)
わたしたちは人間が神の前に平等であることをそこなうすべてのことに反対し、イエス・キリストにあって「人間が人間として人間らしく生きる歩み」をさらに進めます。
2.
わたしたちの40周年の時期は、天皇の代替わりの時期と重なりました。わたしたちは、神ならざるものを神としないとの信仰に立ち、自粛と奉祝の流れがつくられようとする中で普段と変わらぬ教会生活を送り、「見張り人」として、この国が疑似神にひざをかがめてはならないとの警告を発し、祈りました。わたしたちはキリスト者として、被造物である人間が神の前に平等であることをそこなう天皇の神格化に反対し、イエス・キリストにあって、「人間が人間として人間らしく生きる歩み」をさらに進めます。
(参照聖句、創世記1:27、エレミヤ6:16、ダニエル3:16〜18、ミカ4:5、ガラテヤ5:1〜14、ローマ3:21〜22)
わたしたちはむさぼりの罪を告白し、アジアや世界の人たちの共なる歩みをさらに進めます。
3.
わたしたちは、40周年記念行事として若者を中心とする教会員を韓国に派遣しました。大胆に主を告白している韓国のキリスト者とのそこでの交わりを通して、わたしたちがイエス・キリストを信じると言いながらアジアの隣人に出会おうとはせず、自分たちの罪の悔い改めなしに過ごしてきたことに気づかされました。わたしたちは、1919年の三・一独立運動の際、日本の官憲によって虐殺された人々の遺族の一人である堤岩教会の田同禮長老に出会い、そこで韓国・日本・世界の平和を祈る長老の祈りにふれ、過去にわたしたちが犯した戦争の罪、キリストにある恵みと赦しの意味を改めて考えざるをえませんでした。これらの体験を受け止め、わたしたち自らのむさぼりが、アジアや世界の人々を虐げ、また自然を破壊していることの罪を告白し、隣人と共に生きる歩みをさらに進めます。
(参照聖句、ミカ4:3、マルコ8:34〜38、ルカ10:27〜37、Ⅱコリント4:8〜12)
わたしたちはイエスがその到来を宣言された神の国の完成がなされる終末を待ち望みつつ、中目黒の地に遣わされているキリスト者の群れとして歩み続け、これからもイエス・キリストにある多様な福音宣教を求め続けます。
(参照聖句、ルカ17:20〜21、Ⅰコリント12:3〜32、ピリピ1:6)
1991年3月17日